『帝国』と呼ばれる国があった。
まことにいかめしい呼び名の国だったが、その実はさして広くない領土を持つ島国だった。
だが、その誇り高い国民性と海と言う天然の城壁の存在が、幾度ともなく侵略されてもギリギリのところで滅亡を回避し、独立を維持せしめていた。
漁業が盛んで石炭がやたらと取れるだけの『老大国』として、大陸からもそれほど熱心に侵略を受けていたわけでもなかったのだが、ある時期に天才的なエンジニアが何人も誕生して活躍したことで、帝国はある偉業を成し遂げた。後に『産業革命』と呼ばれる、蒸気機関の革新的な実用化と近代的大量生産の導入、物流能力の大幅な向上などである。
ちょうどその時期に大陸全域が戦乱によって荒廃していたこともあり、帝国は国力を蓄え、その産業力とそれを背景にした軍事力をもって敵対する国々を征服し領土を大幅に拡大。ついに帝国は人類史上最大の版図を持つ、世界最大の国家へと成長を遂げた。
その版図は実に世界を一周するに至り、帝国を良く思わぬ国家からは『太陽の昇らぬ帝国』と揶揄されていたが、開拓と冒険がブームになっていた帝国の領土拡大はとどまるところを知らなかった。
そんな中、ひとりの冒険家がある発見をした。
帝国領内の峻厳な山地の中、人類未踏の地と思われた奥地に巨大な遺跡群が確認されたのだ。
その発見から遡ること100年余、世界各地……とりわけ帝国の版図から『古代文明の遺物』としてしか説明できないものが出土したりすることがあった。それに対して、ある考古学の権威が『失われた超大陸〜クロノシア』と言う論文を発表したのだ。
かつてこの星には今の人類よりもはるかに進歩した文明があり、それが何らかの理由で……おそらくは天変地異によって海中に沈んだか、もしくは地中に飲み込まれて……滅亡して大陸ごと失われたという、考古学と言うよりオカルト的な仮説であった。
論文が発表されてから100年以上経つ現在もクロノシアを捜し求めている冒険家は多く、その遺跡を発見したのもそうした冒険家のひとりだった。
その遺跡からは、過去に発掘されたよりもはるかに状態の良い遺物が次々と発掘された。それらが今の人類よりも高い技術レベルにより作られた『ロストテクノロジー』の産物であることと、その遺跡がもっと大きな島か大陸の一部であることを現す特徴が見られたことから
『ついにクロノシアを発見した!』
と、遺跡発見のニュースは帝国中に一大センセーションを巻き起こした。
遺跡から発掘されたロストテクノロジーは、そのほとんどが使用可能なコンディションであり、とくに高効率・高出力の電気モーター、水素と酸素を反応させて電力を得る燃料電池、そして太陽光をもとにした超高熱による水の熱分解装置の発見は、太陽の光の下にいる限り半永久的に動作するモーターを生み出した。
そして、それらの技術を利用した空飛ぶ艇——飛空艇が帝国軍により開発される。
もともと飛行機は存在していたのだが、いわゆるモーターグライダーに毛が生えたようなもので、兵器として運用するためにはもっと大きな——空飛ぶ艇と言うべきものが望ましかった。
折りしも、大陸発の世界大戦が勃発し、世界は連合国と同盟国に二分して争いはじめたところであった。
世界中に広がる版図の防衛のために帝国は世界大戦に連合国側として参戦。飛空艇を大量生産し『帝国航空艦隊』を設立。七つの海を支配する海軍に加え、世界の空を支配する航空艦隊は帝国が属した連合国側に圧勝をもたらすこととなる。
戦勝国として領土の割譲を得たり、ドサクサで反乱を起こそうとした植民地を完全に併合することとなったりした帝国は、その版図をさらに拡大することとなり、まさに隆盛を極めたのだった。
そして、戦時に大量生産された飛空艇は平時にはただのお荷物でしかない。特に、大戦初期に生産された旧型艇は使い道もなくただ保管と整備のコストだけかかる状況になってしまうため、困り果てた帝国は武装をはずした飛空艇を超安値で民間に払い下げ、多少強引ではあるが決着を付けることにしたのだ。
そのことにより、大戦が終わって飛空艇と同じく民間に放出されたパイロットたちが遊覧飛行や曲芸飛行、民間航空輸送で稼ぐ『飛空艇乗り』になったり、非合法に武装した飛空艇でそうした民間輸送艇を狙う『空賊』など空を生業とするものたちが多数生まれた。
前述の冒険家たちの間でも飛空艇は人気の……というよりマストアイテムとなる。
『クロノシアは海に沈んだのではなく、空へ浮かび上がった。もしくは、もともと浮かんでいたものが墜落したが、まだ一部は空に浮かんでいる』
と言うウワサが流れたのだ。それは、大戦中に多くの飛空艇パイロットたちが『上空に不思議な影を見た』と証言していたことと、件の遺跡のそこかしこに、どう考えても『はるか上空から落下して地面に激突』したとしか思えない破壊跡が見られたからであった。
大戦時の飛空艇は高度2千メートル前後を飛行していたが、さらに高高度を飛べるように改造され、失われた大陸を空中で探すというとてつもなく奇妙な冒険に挑むものが続出することとなる。
そして、戦争が終わった3年後。
電熱線による耐寒服と酸素ボンベの発明により8千メーターまで高度を上げられるようになった飛空艇を駆る冒険家が帝国上空を飛び回り、ついに雲の彼方に浮かぶ島々——浮遊群島を発見したのだった。一番最初に発見されたのはかなり巨大な島だったが、その後の調べで大小さまざまな大きさの島々が上空6千メートル前後のところに浮かんでいることが判明した。
そして、『星になったクロノシア』をあらわす古語から、その浮遊群島は『クロノステラ』と名づけられた。
開拓ラッシュに沸くかと思われたクロノステラであったが、その環境が人類の進出を阻んだ。
高度6000メートル前後に浮かんでいる関係で平均気温はマイナス20度以下、酸素濃度は平地の50%以下。短期間ならば、高地順応すれば滞在できないこともないが『居住する』ことは事実上不可能といえる環境である。
だが、クロノステラに眠るロストテクノロジーの『宝の山』は魅力である。帝国政府は懸賞金を出してまで、クロノステラの開拓者を募り、数多くの開拓者がクロノステラへ向かった。
発掘中の落盤事故、坑道を掘りぬいてしまったことによる『墜落』事故、そして重篤な高山病による肺水腫・脳浮腫など、過酷な環境下で数多くの犠牲者を出しながらも、いくつかのロストテクノロジーの遺物を発掘し、帝国の……いや、人類のテクノロジーは目に見えて発展した。
特筆すべきはゼンマイを動力源に持つ機巧人形——オートマトンの発明だろう。
人間を模して創られた自動人形であるオートマトンは、ロストテクノロジーと時計職人の技術との融合によって生まれた。
命令どおりにさまざまな仕事をこなすため、クロノステラでの発掘作業において危険な工程をすべてオートマトンに任せることによって、人間の犠牲者を大幅に減らすことに成功したのだった。
同時に建物全体を与圧する技術の開発に成功したため、作業に携わる数少ない人間もクロノステラに滞在できるばかりか、高山病の危険から解放されることとなった。
そんなある日、今までと違う不思議な『石』が発掘された。
その石が見つかったのは、一番大きな島の周りを付き従うように回っていることから『月』と呼ばれていた小さな島の地底奥深くだった。
月の光を連想させる冴え冴えとした輝きをたたえるその石は、発掘場所の名を取って『月鉱石』と名づけられることとなる。
月鉱石を発見したのはガブリエルと言う古代遺跡の研究家のだった。
考古学と工学の博士号を持ってはいたが、研究に私財を投入し続けた結果、貧乏学者を絵に描いたような男だった。
彼にはティアナと言う一人娘がいた。彼の妻は、娘がまだ幼いころに病気で他界してしまい、男手ひとつで大変苦労しながら育て上げた自慢の娘である。
若いころのガブリエルは、言葉は悪いが『学者バカ』で、子育てはおろかまともに家事もできない有様だったから、その苦労もかなりのものであっただろう。
子供のころ、ティアナは自分の名前を発音できず『ナナ』と言っており、それがそのままニックネームになってしまったのか、17歳になった今でもガブリエルは自分の娘を『ナナ』と呼んでいた。
そして、不器用ながらも精一杯育ててきたナナが全寮制の高校に入ったことにより、ガブリエルは今まで娘を育てるため断念していた念願のクロノステラ行きを決めたのだった。
出発を翌日に控えた父と娘の会話は、父の子育てが体当たりかつ手探りでなされたことを如実にあらわすものであった。
「おとうさん、大丈夫?」
着替えよりも身の回り品よりも、書籍や書類のボリュームがはるかに大きい父の荷物を見て、ナナは不安げに父の顔を見た。
娘に指摘されるまで歯ブラシや髭剃りをパッキングしなかったあたり、クロノステラの興奮がガブリエルを『学者バカ』に戻してしまったのかもしれない。
「やっぱり、わたしもついていこうか?」
この発言からわかるとおり、家事全般はナナが一手に引き受けていた。
無論、寄宿舎に入ったらナナは家から出て行ってしまうのだが
(まあ、お休みの日に帰って一気に片付ければいいよね)
と、気楽に考えていたところで、ガブリエルのクロノステラ行きが決定したというわけである。
いかに父への愛があろうとも、雲の彼方の空の上まで食べ物の作り置きや洗濯をしに行くわけにもいかなくなり、心配性なところのあるナナの不安が止まらなくなったわけである。
「そういうわけにはいかないよ」
と、そんな娘の顔を見て、ガブリエルは微笑みながらかぶりを振った。
「高校に入ったばかりだろう? 新しい友達もようやくできたって言ってたじゃないか」
この発言だけで判断すると『立派な大人』である印象を抱くであろう父を……そして父が鼻歌交じりで作っていた荷物にナナは視線を移した。
「だって……」
その結果、自然に出るためらいの言葉。
旅行とかではなく、規模的には『引越し』に近いはずのその荷物には、しかし、面白いくらい生活感がなかった。
図書館が引越しをするのなら、こんな荷物になるのではなかろうかと言う感じである。
「ご飯、ちゃんと食べるかなって。あと、お洗濯とか。あとは……そう! お掃除!!」
ぜったいしないでしょ! と細いひとさし指で自分の顔をポインティングするナナにむかって、ガブリエルは苦笑してみせる。
「あのね。一応、僕はキミのお母さんと結婚する前はずっと独りで暮らしていたんだよ?」
「そのときには……誰からも文句を言われないで、のびのびやってたってことだよねえ」
ため息混じりにそういったナナの視線の先にあるものに気がついて、ガブリエルは小刻みに首を振る。
「机は別だよ、ナナ! それに、どこに何があるのか自分では分かっているから大丈夫なのさ」
頑丈な木製のデスクの上に、大陸内陸部にある8千メートル級の山脈もかくやの峻厳さで積みあがっている書籍と書類の山を見ながら、ナナはうーんと呻いた。
「でも、クロノステラは空に浮いてるんでしょう? 風が吹いて揺れたりしない? そしたら、机の山が崩れちゃって……下敷きになって怪我しちゃうよ!」
「風くらいじゃ揺れないよ、大丈夫」
——それに、崩れるときには何をやったって崩れるからね。
そんな言葉を飲み込んで、ガブリエルは娘の手を握った。
「ありがとう、ナナ。本当はナナも一緒に行けるといいけど、高度6千メーターだからね。やっぱり危ないから、大丈夫だよ」
「わたしが危ないんじゃ、おとうさんも危ないよね!?」
『危ないから大丈夫』って意味がわかんない、と言うナナの抗議を聞いたガブリエルは
「僕は大丈夫。今は技術者で研究者だけど、もともとは冒険家なんだぞ」
と、やや芝居がかった感じで胸をそらした。
だが、いまひとつ娘の表情が晴れていないことに気がついたのか、つとめてお気楽な表情でガブリエルは補足をする。
「それに、居住棟は与圧されているからね。建物の中にいさえすれば、地上と条件は同じだから快適だよ」
「危なくないの?」
「危なくないよ、大丈夫」
父のお気楽な表情が逆に不安を煽るのか、ナナは『建物の中にいさえすれば』と言う点がどうしても引っかかり、ガブリエルの顔を覗き込む。
「本当? 外に出たらどうなるの?」
そのナナの言葉に、うーんと考える風なガブリエルだったが、しばらくして脳内でなんらかの計算をしながらと言う感じで口を開く。
「外は、まあ……酸素濃度は地上の半分以下で、平均気温がマイナス二十何度とかかな。ずっと外にいると、重篤な高山病になっちゃうな」
実際はともあれ、適当にはぐらかしてその場をまるく収める。
——専門分野に対して、これができないのが『学者バカ』の特徴である。
「危なくなくないじゃない! 本当に大丈夫なの?」
ここまでくると、ちょっとあきれたような表情になっているナナに、父はなおお気楽に笑ってみせた。
「大丈夫だよ。そのためにオートマトンがいるんだから」
「機巧人形のこと?」
「そうそう。危なかったり人間が活動しづらいところは、全部オートマトンが作業してくれるからね。人間は指示すればいいだけだから楽なもんだ」
遺跡とそのロストテクノロジーによって、飛躍的に進歩したものがいくつもあった。
時計職人が作るゼンマイと歯車で動く人型の精密機械であった『機巧人形』とよばれるカラクリ人形が筆頭格だろう。
バイオリンを弾いてみたり、お茶を運んだりするゼンマイ仕掛けの人形——これに遺跡から発掘されたロストテクノロジーを組み合わせることにより、人間の命令を聞いて動く人形を作ることができるようになったのだ。
もちろん、自分で考えて動くことはできないが、高度6000メートル前後に浮かぶクロノステラで高山病のリスクをまるで考えなくて良い『作業員』が出来上がったことになるため、オートマトンの発明によりクロノステラ開発は大幅に進んだといえよう。
ガブリエルは研究者であるが、オートマトンを作ることができる技術者でもあり、すでに彼が作ったオートマトンが何体もクロノステラで働いているし、普段から彼の仕事をサポートしてもいる。そのことをもちろん知っていたナナは、すこし思案顔のまま頷いた。
「じゃあ……だいじょぶかな?」
「うん。だから、キミは安心して僕のことは気にせず……一生懸命、勉強しなさい」
ガブリエルは娘の肩に手を置いて、優しく微笑んだ。
「そして、学生生活を楽しみなさい。新しい場所で、新しい友達がたくさんできたんだから」
ナナは優しい娘だった。
自分を育てるために、大変な苦労をしている父の姿を見ながら成長した——時計やカラクリじかけの機械を作る技術を習得したのは、元はといえば生活のためである。
娘のことは人一倍気をつかうくせに、自分のことには無頓着な父をずっと気遣って、ナナも炊事洗濯掃除などの家事をマスターした。
ふたりはずっと、この狭い家で二人三脚で暮らしてきたのだ。
「……うん、わかった」
そして、父は浮遊群島に行き、娘は寄宿舎に入る——生涯で初めて親子離れ離れで暮らすことになる。
生活能力の低い父親の世話にかかりっきりにならずに、のびのびと……ようやく子供らしい暮らしをさせてあげられると、ガブリエルは娘の寄宿舎入りを喜んでいた。
そのことを知っていたナナは——しかし、大好きな父と離れることが寂しくて不安なことも事実であったが——感謝の気持ちをこめてガブリエルに微笑を返した。
「高校で一生懸命勉強して——もっとおとうさんの力になれるように、がんばるからね」
もともと、ナナがこの高校に入ると決めたのは学業だけではなく裁縫や料理、礼儀作法などのいわゆる『花嫁修業』ができるからだった。
「研究やお仕事の手伝いはオートマトンでいいけど、お洗濯とかお料理とかはわたしがやらないとダメだから。お父さんがクロノステラに行ってる間に何でも独りでできるレディになっておくからね」
自分のためではなく、あくまで父のためにそれらの勉強をするという。
ガブリエルは、最近ゆるくなった涙腺をなんとかなだめ透かしつつ、ナナの手を取って深く頷いた。
「そうか。じゃあ……オートマトン以外に助手は雇わないでおこう。楽しみにしてるよ、ナナ」
「おっけー。何かあったら、おばさんに言うから。おとうさんは心配しないでお仕事してね」
父の手を握り返しながらそう言って、ナナは笑う。
その笑顔が、無邪気な子供のころの娘を思い出させたのか、ガブリエルはちょっと心配げな表情になった。
「あとは身体には気をつけるんだぞ? すぐに風邪引いたり……特に喉を痛めたりするだろ?」
「子供じゃないから、すぐ治るし大丈夫。お父さんこそ、からだに気をつけないとダメだからね」
『小さい子供を持つ父親の顔』になったガブリエルに、ナナは笑いかける。
それは、父親譲りのお気楽な笑顔だった。
「おとうさん」
ん? と、首をかしげる父の手を、ナナはぎゅっと強く握った。
それは機巧作りや発掘作業で、すっかり傷だらけになった父の手。
分厚くて暖かい、筋張っているけど、どこかやわらかい……子供のころから変わらない、父の手だった。
「わたし、本当にがんばるからね。まっててね、おとうさん」
「ああ……ありがとう」
もはや涙腺が崩壊したのを隠そうともせず、滂沱の涙を流しながらガブリエルはナナに礼を述べた。
父親として出来が悪いと自覚していた。それでも、こんなにいい子に育ってくれた。
そんな想いをこめた『ありがとう』だった。
そして、娘よりも先に涙を流しちゃった父親を見てナナはやさしく微笑みながら、ポケットから取り出したハンカチを手渡したのだった。
そして、ガブリエルはクロノステラへと旅立った。
成長したナナと、また一緒に暮らす日を夢見て。
しかし、その日は永遠に訪れなかった。
——その半年後、ナナは事故に遭い……帰らぬ人となったからである。
ガブリエルが地上に戻ることができたのは、ナナが亡くなって一週間あまり経ったころだった。
浮遊群島の深部で作業をしていたガブリエルに、寄宿舎の近くに住む彼の姉からの知らせが届くまで時間がかかり、それから飛空艇の手配をして戻るまで時間がかかった結果だった。
ナナはすでに墓地に埋葬され、彼女の母親の隣に眠っていた。
その日は冷たい雨が降っていたが、傘も差さずに墓地へと駆けつけたガブリエルは、墓石に刻まれた月と薔薇——いずれも、ナナが好きだった——の彫刻を見て
『ナナ ——父を心から尊敬し心から愛した娘、ここに眠る』
という言葉を読んだ瞬間、その場に崩れ落ちるように跪き、あたりをはばかることなく涙を流した。
そして、ガブリエルは上着のポケットから石を取り出した。それは石英の結晶のように美しく輝いていた。
「ナナ……おとうさん、クロノステラでこれを発掘したんだよ」
墓標の上にその石を置いて、ガブリエルは涙を流しながら話し続ける。
「地底で見つけたんだけど、地上に出たら夜でね……満月で、月がとても綺麗な夜だった」
クレーターの一つ一つがはっきり見えるほど巨大な、そして、美しい満月。
ガブリエルは地上に出たそのとき、一瞬発掘した石の事を忘れたほどに素晴らしい月だった。
「月の光に照らされたこの石が、とにかく美しくて——月鉱石という名前をつけたんだ」
その素晴らしい月の下、物入れから取り出した石——月鉱石は、銀色の月の光をたたえて冴え冴えとガブリエルの手のひらの上でたたずんでいた。
それを見て、彼の脳裏に真っ先に浮かんだのは、娘の笑顔。
「ナナ……キミが月が好きなのを思い出したから」
ナナは月が好きだった。
死やまがまがしい夜を象徴する月は決して良いイメージはないけれど。
しかし、だからこそ月は美しいと、ナナはよく月の綺麗な夜に空を眺めていた。
「クロノステラから見る月はね、すごく綺麗なんだよ」
冷たい雨が降りしきる、暗い雨雲の下で、ガブリエルは何かを思い出すかのように目を閉じ、天を仰いだ。
「スモッグなんか届かない、空気も薄い高度だから……とにかくクリアーに見える。もちろん、星もね。とにかくすごく綺麗で、はじめて夜空を見上げたときには言葉を失ったよ」
『降るような』と言う形容詞がこの上なく当てはまるような星空に浮かぶ、手を伸ばすと届きそうなほどにクリアに見える月。
「ナナ……クロノステラの月を、キミに見せてあげたかった」
地上では絶対に見ることのできない空だった。
ガブリエルは、遠い目で何かを見るように目を細め、そして、突然顔をゆがませた。
「僕が……クロノステラに……連れて行っていれば……」
——こんなことには、ならなかった。
この最後の言葉は、もはや発することすらできなかった。
さめざめと冷雨が降りしきる中、ガブリエルは地面に伏して慟哭した。
飛空艇を手配していたガブリエルだったが、結局彼はクロノステラへ戻らなかった。
彼は娘のいない自宅へ、ただ独り帰ったのだった。
そして、その翌日。
ガブリエルはまるで取り憑かれたように一心不乱に何かを作り始めた。
それは、ナナの姿を模した機巧人形だった。
すべてのパーツが鏡のように磨かれ、丁寧に精密に組み込まれた動作機関部は、機械に詳しくないものが見てもため息が出るほどに美しい。
そして、その動作機関部のコアと呼ばれる中心部に——ガブリエルは月鉱石をはめ込んだ。
最初からそのように設計したのだろう。月鉱石はコアの中心部になんの抵抗もなく収まった。
「……初めて見つけた月鉱石は、キミにプレゼントしようと決めていたんだ——ナナ」
ガブリエルは横たわるオートマトンにそう告げて、寂しげに微笑む。
ナナが亡くなって以来、一度たりとて浮かべだことがなかった微笑みだった。
そして、ナナを組み上げた——どうやら、コアに月鉱石を組み込むのが最後の工程だったらしい——ガブリエルは、自動ゼンマイ巻き上げ機を新作オートマトンにセットすると、眠りについたのだった。
そして、翌朝。
ガブリエルはワインダーが正常に作動したことを確認すると、新作オートマトンから取り外し、そしてゆっくりとゼンマイの起動ピンを引き抜いた。
チッチッチッチ……
動作機関部の中に組み込まれたガンギ車とアンクルが起こすかすかな音が、オートマトンが動き出したことを主張する。
ガブリエルは正面に回りこむと、まだ目覚めない——初回起動は時間がかかるものなのだ——オートマトンに向かって、やさしく微笑んだ。
「おはよう。僕の名前はガブリエル。君の名前は——ナナだよ」
当然、答えは返らない。
人の形をしているとはいえ、所詮はタダの機巧人形である。
たとえるなら、柱時計に話しかけているようなものだ。
亡き娘の名前をつけたオートマトンに、しかし、答えが返らないことを知っていてなお、ガブリエルは語り続ける。
「たとえ話ができなくても……たとえ、機械でも……キミはナナだ」
チッチッチッチ……
眠っているかのように目を瞑っているオートマトン——ナナに向かって、ガブリエルはなおも微笑んでみせる。
……それは、とても切ない微笑だった。
「さあ、そろそろ目を覚まそう。今日はいい天気の朝だよ、ナナ」
その言葉にいざなわれるように。
静かにナナの瞳が開き、ゆっくりとガブリエルの顔を見た。
そして、次の瞬間——
「おはようございます!」
ガブリエルの目は驚きのために、大きく見開かれることになった。
「わたしの名前はナナ……だよね? 身体は動かなかったけど、聞こえてた」
驚きのあまり、腰を抜かしてへたり込んだガブリエルの前にしゃがみこみ
「これからよろしく! 今日は本当にいい天気だね!!」
と、ナナは満面の笑顔をみせた。
そして。
それから後が、大変だった。
とりあえず、ひとしきり大騒ぎした後でガブリエルはナナに話を聞きつつ、色々なことを調べ始めた。
彼も相当に動揺しながらの調査だったが、分かったのは以下のことだった。
『オートマトンに感情や人格——『こころ』が芽生えていた』
『生前のナナに、きわめて性格や話し方——人格が似ていた』
ガブリエルに『思い当たるフシ』はひとつしかなかった。
動作機関部のコアに埋め込んだ——月鉱石。
それ以外は、ナナの構造は丁寧に作ったかどうかはともかく、一般的なオートマトンと同じだったからである。
そして、検証のために違うオートマトンに月鉱石を組み込んだところ、やはり同じく心が芽生えたことから、この現象が月鉱石を組み込んだせいで起こることが確認されたのだった。
オートマトンはこころを吹き込まれたことにより、ただの道具から人類のパートナーとも言うべき存在に進化を遂げた。
だが、『月』から月鉱石はごくわずかしかしか採掘されず、一部の好事家か金持ちにしかいきわたらない希少なものとなった。
月鉱石の需要自体は高まる一方だったので、クロノステラのあらゆる場所を掘り進めた結果、他の島の地底からも……それも結構あちらこちらから……月鉱石に似た石が次々と発掘されたのだった。
それらの石は月鉱石とは色が違ったり、形が異なったりと色々な種類があったので、月鉱石を含む『石』の総称として、石英の結晶にも似た外見から『クォーツ』と呼ばれることとなる。
クォーツを組み込んだオートマトンにも、月鉱石を組み込んだものと同じくこころが芽生えることが確認された。
もっとも、失った娘などの肉親に似た『こころ』を持つかのようなふるまいを見せたのはナナひとりだけであり、追加研究は必要だという状況であったが……
自分で考えて行動できるようになったオートマトンによる作業は、効率が従来よりもはるかに高まり、帝国政府はすべてのオートマトンに対してクォーツ装着作業を押し進めた。
そうした『こころを持つオートマトン』を生み出す技術者たちは『創りだすもの』と言う意味の古語から『オータス』と呼ばれた。
オータスは、さまざまなクォーツをオートマトンに装着し、こころを持つ機巧人形を作り上げていく。
その結果、物言わぬ機械だらけだったクロノステラは、物を言う機械によって埋め尽くされることとなった。
帝国政府は突如こころを持ったオートマトンたちに対し、きわめて寛大な処置を取った。
クロノステラ開拓の大事な戦力だということもあったが、帝国はオートマトンに市民権に準じる権利を与え、いわゆる『準国民』として扱ったのだ。
今なお、奴隷や植民地の戸籍のない人々がいるなか、破格の待遇といえるだろう。
また、オートマトン同士のコミュニティをも承認して、労働組合とまでいかないがオートマトンの処遇に関して、人間に一言物申す体制すら許容する。
そして、そうした人類の心意気に感じたのか、空気が薄くても気温が低くても問題ないオートマトンはクロノステラでさしたる不満も言わずに活動をし、さまざまな遺物が発掘された。
そして、ナナが創られてから2年が経過した。
ナナはガブリエルの娘として、人生のパートナーとして彼とともに暮らして彼の生活を豊かにしていた。
「博士! お掃除するから、ちょっとお部屋から出てくれる?」
「ごめん、ナナ……あと5分待っててくれる?」
「博士の5分は普通の人の30分くらいあるからなあ……じゃ、他の部屋をお掃除するからそれまでに何とかしてね」
洗濯や掃除は完璧だった。味覚がないので、始めは苦手だった料理もなんとか普通にこなせるようになった——まるで本当の娘のように、ナナはガブリエルを支えていた。
そしてナナが支えていたのはそこだけではない。ガブリエルは、娘を失った哀しみからも立ち直っていたのだった。
彼らの間には平凡な、しかし幸せな日常が訪れていた。
そんな2人の間に、オートマトンの運命を変える出来事が起こる。
それは、きわめて日常の出来事が発端だった。
ガブリエルはお酒が大好きで、その夜も寝る前に一杯やっていた。
なにかいいことがあったのか、上機嫌な彼はいつもよりもハイペースに、一杯どころか何本も酒瓶を空にしていた。
そして、その様子を心配そうに見ていたナナが
「もう、たくさん飲んでるよ? そろそろやめないと、からだに悪いよ」
と、苦言を呈した。
“娘”に諌められたガブリエルは、さすがにちょっと考える体になったが
「たしか、台所に最後の一本があるはずだから、それを飲んだら終わりにしよう」
と言い出した。
彼的には大きな譲歩なのかもしれないが、微妙に往生際が悪い感じである。
しかたないなあ、といいながらも台所へ向かったナナだったが、確かにガブリエルの言う通りに『最後の一本』をキッチンの棚の中から苦もなく見つけることができた。
ため息をつくそぶりを見せながら酒瓶を手にしたナナだったが、ちょっと考えたあとで食器棚の中にそれを隠して扉を閉めてしまった。
そして、ガブリエルのところに戻ると
「はかせ〜……」
と、ちょっと困ったような顔をみせ
「さがしたけど、なかったよ」
と、彼に伝えた。
ガブリエルは(あれ、そうだったかな……?)と首をかしげたものの
「勘違いだったかな? じゃあ、今日はもう寝ようか」
と、あきらめて寝室へと向かうことを決めた。
「うん! おやすみなさい、博士!」
ナナは彼を見送りながら、ニッコリと微笑んだのだった。
そして、翌朝。
軽く二日酔いになったガブリエルが水を飲もうと、グラスを取るために食器棚を開けた。
そこにあったのはクリスタルガラスのグラスと……酒瓶が1本。
「あ、やっぱりあったじゃないか! こんなところに……」
とひとりごちた後で、ガブリエルはふと首をかしげた。
(こんなところに……酒をしまうわけがないのに)
彼は本気で不思議がり、考えても結論がでなかったものか他の部屋を掃除中だったナナを呼び
「なんで、食器棚の中にお酒があるの?」
と、単刀直入に尋ねた。
その質問を受けてナナは、かなり困った表情をみせたあとで、なんともバツが悪そうに
「ごめんなさい、博士……うそをついちゃって」
と、ガブリエルの酒量を心配してお酒をもってこれなかったと謝ったのだった。
ガブリエルは最初あっけに取られたかのように、ぽかんと口を開けてナナを見た後で文字通り狂喜乱舞した。
目を丸くしているナナの両手を取って、満面の笑みで振り回す。
というのも……オートマトンは、嘘をつくことができない——そういうものだったからだ。
冗談でも事実に反するような種類のことは言えないし、どんなに都合の悪いことでも尋ねられたら正直に答えるか、はぐらかすか黙り込むかしかできず、決してでたらめな答えや嘘をつくことはなかった。
なのに、ナナは嘘をついた。たとえそれが自分のためではなく、ひとを気遣うものだとしても。
——これは世紀の大発見だった。
ガブリエルは、喜び勇んで仲間のオータスに教えに行った。
『僕のナナが嘘をついたぞ!』
と。
ガブリエルからそのことを告げられたオータス達はあらためて自分たちが創ったオートマトンを見て、そして色々なことを思い起こしてみた。
すると、やはり一部のオートマトンが確かに嘘をついていたことに気がついたのだった。
・料理が趣味のマスターに「おいしい?」と言われて、味覚を持たないオートマトンだが、一口食べた後で「おいしいですよ」と言った。
・クリスマスの日、マスターと一緒にプレゼントを買いに行ったが、戻ってきた後で子供たちに『いい子にしていたら、サンタさんがプレゼントを持ってきてくれるかもしれませんよ』と笑った。
・マスターにしつこく言い寄る困った紳士が『マスターはどこにいる?』と聞いてきたので『あちらのほうに行きました』と正反対の方角を指差した。
などなど……彼らのオートマトンのいくつかは、確かに彼らのためになる嘘をついていた。
そして、それらの嘘をつくオートマトンには共通点があった。
それはすべて——月鉱石が組み込まれたオートマトンだったのだ。
嘘をつくオートマトンは、意外にもマスターたちには好評であった。
嘘をつくことでより人間らしくなり、オートマトンがパートナーとして一層得がたい存在になったというわけだ。
ただ、やはり……オートマトンが嘘をつくことを喜ばない人々もいた。
『オートマトンが人類のパートナーたりえるのは、正直で従順だからだ』
『嘘をつき、人間を騙す機械なんて危なくて使えない』
こうした『保守派』の声は必ずしも少なくなかった。
その結果。月鉱石のオートマトンを歓迎するものと、問題視するものとの意見が別れ紛糾した。
そんな騒がしい空気の中、ある事件が起こった。
クロノステラ発掘に携わる開拓者のパートナーが、自分のマスターの不正を告発したのだ。
開拓者は遺跡から超兵器といえる遺物を発掘し、それを高値で帝国と敵対する周辺国家に売却しようとしたのだ。
それはれっきとした帝国法違反で、死刑すらありえる重罪であった。
最初諌められてまったく聞く耳を持たないマスターに対して
(このままでは、マスターは帝国の反逆者として処刑されてしまう……)
(未遂なら……命は助かる)
と、思いつめたオートマトンは、ついに自分のマスターの命を守るために政府に告発することを決意した。
自らのオートマトンに告発されたマスターは、激怒した挙句に彼のオートマトンの言うことをまるで聞かずに裁判の場で猛反論する。
『このオートマトンには月鉱石が組み込まれている』
『月鉱石が使われているオートマトンは嘘をつくオートマトンだ』
『自分が画策した悪事なのに、事が発覚しようとするにあたり、俺を騙してハメようとした』
結局、人間であるマスターの主張が全面的に認められた判決が下り……告発したオートマトンは自分のマスターが遺跡から発掘した件の超兵器——石化光線で石化・破壊処理されてしまった。
あまりに一方的な判決と、あまりに重い刑罰、そしてあまりに早い刑の執行にオートマトンのコミュニティは猛反発した。
そのとき保守派が主流を占めていた帝国政府はオートマトンの反発を『反乱』と規定。オートマトンの集会(コミュニティ)の禁止、オートマトンに与えられた準人権の剥奪を議会で可決した。
帝国各地で弾圧を加えられたオートマトンは、過激派によるテロリズムの標的となった。
過激派はオートマトンの象徴的な『標的』を探し求め、その結果として狙われたのは、最初に月鉱石を発掘したオータスと、最初に発掘された月鉱石を組み込まれたオートマトン……
——ガブリエルとナナであった。
その日は、月が綺麗な夜だった。
ガブリエルとナナの身を案じた友人たちやオートマトンのコミュニティが、オートマトン派が多く比較的安全なクロノステラに彼らを招いたのだった。
ふたりとも『故郷を捨てられない』と最初は固辞していた。
妻や娘……そして、新しいナナとの思い出にあふれる家を、ガブリエルは捨てられないと。
自分が作られて、親愛なる『博士』と生まれてからずっと生活していた家を、ナナも捨てられないと言ったのだ。
だが、最終的に皆に説得されてクロノステラ行きを決意した2人は、満月の夜に自家用の小型飛空艇で出発することにしたのだった。
「ごめんなさい、博士……わたしのせいで、こんなことになっちゃって」
飛空艇のコクピットで舵を握るガブリエルの横で、ナナはすっかり沈んだ表情でうつむいていた。
ナナの顔を見て、ガブリエルはゆっくりとかぶりを振った。
「ナナのせいじゃない。それをいうなら、月鉱石を見つけた僕のせいだろう」
そう言ってから、ガブリエルは微笑む。
それは苦笑ではなく、自嘲でもなく、とても素直な微笑みだった。
「ただ、月鉱石を見つけたおかげで……ナナが僕の娘になってくれた」
その言葉を聞いて、ナナはゆっくりと顔を上げる。
ガブリエルはそんなナナに向かって、にっこりと微笑んでみせた。
「それは、何事にも変えがたい僕の宝なんだ」
「博士……」
一瞬、ナナの表情が明るくなりかけ……しかし、再び沈んでしまう。
ナナは少し寂しげな口調で、やや自嘲気味につぶやいた。
「でも、わたしは“ひと”じゃないよ……鉄と歯車とゼンマイと……月鉱石でできてる」
そう言って、ナナはじっと手のひらを見る。
ボールジョイントと蛇腹、ギアと蝶番を巧みに組み合わせた——どうみても『自然な生き物ではない』自分の身体を確認するかのように、寂しげな表情でじっと見ていた。
「娘って言ってくれて、すごくうれしいけど……わたしは、やっぱり『機巧人形』だから、博士の“娘”じゃないよ」
そのナナの言葉に『違うよ!』でもなければ『そんなことを言うものじゃない』でもなく。
ガブリエルは、少し考えた後でナナに問いかけた
「ひととオートマトンって、何が違うんだろうね?」
「え?」
手のひらひとつとってみても『娘』であることをあきらめざるを得ない。
そんな歴然とした『違い』を……自分の手を、今まさに見たばかりのナナは、驚きの表情で彼を見た。
「そりゃ、肉体的にはぜんぜん違うよ? そのくらいは、僕にもわかる」
言い方間違っちゃったかなと、やや苦笑気味にガブリエルは笑う。
なおも不思議そうなナナにむかって、彼は話を続けた。
「でも……『こころ』はどうだろう?」
「こころ……」
すこし漠然とした話で、いまひとつ話が見えない感じにナナは首をかしげる。
そんな彼女にガブリエルはゆっくりと、噛んで含めるように説明をする。
「オートマトンはもともとは機械だけど、人間の命令に従う仕組みはない。嫌だったら、反論もできるしボイコットもできる。月鉱石のオートマトンは嘘までつける」
ここで少し間をおいて、ガブリエルはナナの顔をじっと見つめた。
「だから、対等の立場で話ができると思うんだ」
一方的に言われた事を逆らいもせずに実行するのは、機械であり奴隷である。
クォーツを組み込んだオートマトンとそうでないものの一番の違いは『自分の考えを持っている』ことであろう。
頷くナナを見てガブリエルは続ける。
「悲しいときには悲しむし、うれしいときには喜ぶ。困ったり怒ったりもする」
すべて身に覚えがあることだったので、ナナは頷いた。
ガブリエルはナナの目を見てゆっくりと、そしてはっきりと話した。
「ひととオートマトン——“こころ”は違わないと、僕は思っている」
ナナは少し考えた後で、ガブリエルのその言葉に黙ってコクリと頷いた。
ガブリエルは、少し思案げな表情を見せぽつりぽつりと語り始める。
「僕はクロノステラではるか昔に暮らしていた人たちのことを研究しているんだ。まだまだ謎だらけだけど、いくつか『こうじゃないかな?』って分かってきたこともある」
ガブリエルは技術者であるが、もともとはロストテクノロジーに魅せられてクロノステラの研究をしている研究者であり、冒険家だった。そのことは『助手』であるナナはよく分かっていた。
「クロノステラにいた人たちは、僕たちなんかよりぜんぜん発達した文明を持った人たちだったと思うんだけど——いくつかの書物に、色々な問題を解決するために『感情を捨てた』と言うことが記されていた」
「感情を?」
読み方の見当すらつかない銅版に刻まれた文字や、クォーツに混ざって発掘された書籍などを調べているガブリエルの姿をナナは覚えていた。
それにしても突拍子なく始まった話に、ナナの目が丸くなる。
「要するに、合理的に物事を進めるのに邪魔だから——“こころ”を捨てた、と言うことだね」
そこまで言うと、ガブリエルはちょっとシニカルに肩をすくめた。
「でも、結果的にその文明が現在まで存在していないことを思うと……こころを捨てたことが、よかったのかどうか分からないよね」
そうだね〜とナナも苦笑したのを見ながら、ガブリエルはやおら眉根に皺を寄せる。
「『アイギスの光』の装置だけど、僕が見ても未完成というか不完全に見えるんだよね。何かが足りないというか、もともとつながっている何かがないと理屈に合わない仕組みと言うか」
ただの『考古学研究者』ではなく、自分で物を作る『技術者』であるからこその視点。
原理はわからないし技術レベルもはるかに上だが、なんとも説明しがたい『違和感』があるのだろう。
「あの光を浴びるとからだが石化してしまう、けれど……本来は違うものを石にするための装置なのかもしれない」
自らの思考に沈みながら、ガブリエルは誰にともなくつぶやくように話し続ける。
「クォーツが何故、あれほどたくさん作られたのか? そして何故……未使用のまま、わざわざ島の地底奥深くに埋められ……いや、これ以上は脱線だね」
どうすればいいのかわからない、と言う感じで横にたたずむナナを見て我に返ったガブリエルは、バツが悪そうに頭をかいてみせる。
そして、すうっと息を吸い込んでナナに向かって話し続けた。
「こころがなければ僕たち人間もオートマトンも、ただの機械みたいなものだと思う」
それはガブリエルの偽らざる正直な意見だった。
「こころがあるから、お互いに信頼できる存在になる」
胸襟を開いて思いのたけをぶつける。
いいこともわるいことも、相手を信じて打ち明ける。
「こころがあるから、お互いを気遣って幸せをつくることができる」
互いを思いやる気持ちが、相手の幸せを願うこころが幸せを作ると——ガブリエルはそう信じていた。
なぜならば——その思いをお互いに持ち続けたペアが、ここにいるから。
「ナナ——君がわが家に来てから……僕は本当に幸せにすごしてきた」
思い出したくないことを思い出す……そんな沈黙から、それでも穏やかな口調で語り続ける。
「流行病で妻を失って、そして事故で娘を失ったとき、僕は本当にひとりになった」
妻と幸せに過ごしたときを、娘のナナと別れたときを、ガブリエルは今でも夢に見る。
『高校で一生懸命勉強して——もっとおとうさんの力になれるように、がんばるからね』
『わたし、本当にがんばるからね。まっててね、おとうさん』
最後に見た娘の姿を……その笑顔を、ガブリエルは今でも正確に思い出すことができる。
「もう、僕には幸せは訪れないと思っていたけれど……そんなことはなかった」
そう言ってガブリエルは、先ほどから黙って自分のことをじっと見ているナナの肩にそっと手を置いた。
「聞き分けがよくて、綺麗好きで、料理もうまくて、僕のお酒を隠して『ありませんよ』なんて……人を幸せにする嘘をつく」
ガブリエルは、黙って自分の話を聞き続けているナナに向かって微笑むと
「今となってはかけがえのない——僕のかわいい娘だ」
と、この上なく幸せな表情で話を締めくくった。
ナナは目を大きく丸く見開いて、ガブリエルの話を聞き終えた。
そして、ガブリエルの顔を覗き込み
「あのね、博士……」
と、にっこりと微笑みながら話し始めた。
「わたし、月鉱石が好きなんだ」
ナナはそういうと、自分の胸にゆっくりと手を当てた。
「これがなんなのかは、わからない。自分のからだに入っているのにね」
少し困った風に笑ってから、ナナは横に立つガブリエルの顔を見上げる。
「でも、この月鉱石がみつかったおかげで……博士が見つけてくれたおかげで、わたしは生まれることができた」
そうだね、と。ガブリエルはやわらかく微笑んだ。
「ナナには、『月』で僕がはじめて見つけた月鉱石を組み込んだんだ」
そう言って頷くガブリエルに、ナナは面白そうに笑って応えた。
「しってる。お酒を飲んだときに、何回もそのおはなしをしてくれたから」
「そりゃ……失敬」
酒が好きで、ナナに色々と注意されながらも量をすごすことが多い日々。
同じ話をするのは老人になった証拠とも言うが……ガブリエルは、すこし恐縮した体で頭を下げる。
ナナはゆっくりとかぶりを振ってから、話を続けた。
「今、世の中がこんなになってる元凶かもしれない。『月鉱石がなかったら』って、言われてるのも知ってる」
寂しげな表情を見せて俯きながら、それでもナナははっきりと言った。
「でも……わたしにとって、この月鉱石は一番のたからものなんだよ」
ナナの中に埋め込まれた月鉱石は、外からその姿を見ることはできない。
『コア』と呼ばれる箇所に組み込まれた月鉱石を、からだの上からナナは指し示した。
「これがなければ機能を停止するという意味じゃなく……わたしにとって、とってもとっても大事なもの」
そこまで言って、ナナはガブリエルの顔をあらためて見た。
やさしい表情で彼女の言葉を待っているガブリエルにむかって
「だって……」
なんていおう、と言う風にすこし口ごもったあとで、ナナはうん、と小さく頷いた。
「この月鉱石のおかげで……博士の娘になれたから」
胸に手をあて、はにかんだ笑顔を見せるナナをガブリエルは心のそこから愛おしく思った。
「ナナ……」
感動で胸が詰まったような、言葉が出てこないと言った風のガブリエルに
「わたしを家族にしてくれて、ありがとう……」
それはそれはうれしそうに。
ナナは満面の笑顔で彼に言った。
「——おとうさん」
初めて“娘”にそう呼ばれた“父”は照れくさそうに、そしてうれしそうに笑った。
そんなささやかな、そして、何事にも変えがたい幸せな瞬間。
その瞬間に——飛空挺に仕掛けられた時限爆弾が爆発した。
飛空艇はクロノステラにあと少しで到着するというところで爆発四散し、その破片も荷物も何もかもが6千メートル下の海中へと没した。
2人はテロリズムの犠牲となったのだった……
その2人の犠牲が引き金になったかのように、帝国各地でオートマトンに対してのテロが頻発した。
最初は人間に従おうとしていたオートマトンだったが
『なぜ、無条件に人間に従わなければいけないんだ?』
『人間とオートマトンの違いってなんだ? そんなに人間は偉いのか?』
と、帝国の政策に反発をするものが現れ、ついに反抗勢力が人類と武力衝突をするに至った。
その後、すぐにクロノステラをオートマトン側が占拠した。もともと人間の数が少なく、逆に数多くのオートマトンがいた浮遊群島は簡単にオートマトンに制圧された。
クロノステラにいるオートマトンたちは、地上で弾圧を受けている仲間をクロノステラに呼び寄せ、クロノステラは反帝国のシンボルとなる。
そしてオートマトンたちによって、クロノステラを本拠地とするコミューンが宣言される。同時にクロノステラの独立とオートマトンによる自治権が帝国政府に要求されることとなった。
言うまでもなく、クロノステラはロストテクノロジーの宝の山である。
それを手放すことを厭った帝国は、当然のごとくオートマトンの要求を全面的に撥ね付け、コミューンを『逆賊』と認定。
帝国皇帝が征討の勅令を発布し、ついに帝国はコミューンとの戦争状態に突入した。
帝国はクロノステラ奪還をもくろみ、コミューンは人類を屈服させるべく戦いに臨んだのだった。
コミューンのオートマトン軍は高度6千メートル前後に浮かんでいるというクロノステラの地の利を活かして、数の上ではるかに勝る帝国の攻撃を防いでいた。
さらに、コミューン側はロストテクノロジーによる超兵器を戦線に投入。帝国の都市を『焼き払った』オートマトンは、数で圧倒的に優位であるはずの帝国側に軍事的優勢を保ち続ける。
正直、人類がオートマトンの戦争能力を見くびっていたと言う事実は否めない。
オートマトンはさらに、クォーツを組み込まない簡易的な構造のオートマトンを製作し兵として運用する。
大兵力をもって消耗戦を仕掛ける国家に対して『兵が畑で採れる』と揶揄することがあるが、コミューンの場合は比喩でもなんでもなく『兵が工場で出来る』のである。
その結果、人間は予想をはるかに越える苦戦を強いられてしまう。
自慢の『帝国航空艦隊』は首都島から放たれた光線兵器——クロノステラ直下の工業都市を焼き払ったものだ——の直撃を受け、文字通り『消滅』した。
同じく帝国自慢の海軍は無傷で存在していたが、高度6000メーター前後に浮かぶ浮遊群島に対して、海に浮かぶ戦艦はあまりに無力だった。
そして『帝国航空艦隊』を失った帝国は、兵をクロノステラへ送る手段を失う。
そうした戦況下でオートマトンの優勢が続くと思われる中、決め手にかけるコミューンと地上戦で粘り抜く帝国と戦争が泥沼化し、3年間の間で双方供に犠牲者を出し続けた結果、オートマトン側からも
『人間のマスターのもとで平和に楽しくくらしていた……あのころに戻りたい』
と、コミューンから抜けて帝国に味方をするものも出だしたために、情勢はさらに複雑化してしまう。
そんな状況の中で『これ以上の消耗戦は不毛である』とコミューンは帝国にとある提案を持ちかける。
人間の姿に化け、人々を騙して襲う人狼……善良な人々にまぎれるうそつきの怪物……帝国辺境部に伝わる『人狼伝説』を模した戦い——『人狼協定』による決着である。
帝国はコミューンの提案を受け入れ、戦争の結末を『人狼協定』にゆだねることを決定した。
嘘をつけるものは必要なのか?
それとも嘘をつけない正直者だけで国家運営すれば平和になるのか?
もともとの原因である『月鉱石』の意義を問う戦いである。
これより始まるは……今をおいて他にない、たった一度の物語。
人類とオートマトンの運命を決める戦いがはじまった……!